だれかさんのうしろに


大蛇と闘って相討ちになるトール神、
ヤマタノオロチを退治するスサノオ、
竜と闘って水源を解放するインドラ、
暴風雨神や雷神に通底する髭づら男……

天の川
(地上の海や山の水源=大地をとりまく水)
天の川の比喩としての竜・大蛇、
それに挑む英雄としてのオリオン座


天の川を背にしての牡牛座との対峙、
背水の陣。

(だれかさんのうしろにへびがいる)

天の川の対岸に、双子座。

(彼岸と此岸に別れる双子の英雄)


( 2023.1.24 Twitter より )


白鳥座のビジョン


KAGAYA「銀河鉄道の夜」を
プラネタリウムで幾度も観た。
冒頭のシーンで二羽の白鳥がはばたき、
一羽が水に飛び込む。
「水=天の川=カムパネルラが溺れた河」
があまりに自然で気づかなかったが
賢治の原作にはない。
KAGAYAさん独自の
解釈&イメージなのだった。
賢治の原作では「白鳥の停車場」とのみ。

賢治の原作は、
初期稿~第4次稿(最終稿)まで
何度も読んでいるけれど、
それでもKAGAYAさんのプラネタリウム作品の
冒頭シーン(二羽の白鳥)があまりに自然で
違和感を覚えなかった……
賢治原作に含まれなくても、
作品世界をより深める映像ゆえに。
(KAGAYAさん独自の「天の川の白鳥」像でありつつ)

そして確認したら、
プラネタリウムの映像は、
「一羽の白鳥」のみ登場するのだった……

(もう一羽は、十数年の時を経て、
私の記憶と夢想のはざまに生まれ、
はばたいている白鳥の影らしい)


ステファンヌ・マラルメ Stephane Mallarme 上田敏訳 白鳥 LE VIERGE (aozora.gr.jp)

ずっと好きだった詩を、
「白鳥=白鳥座」というイメージで
読み直してみた。
凍てた湖に映る星影……
羽根のない翼(星をつなぐ輪郭)
天の川(氷の粒の川)に
永遠に留められた幻影。

地上の生命と星座とを対比させて、
刹那と永遠とを
描いているのではなかろうか……と。

地や湖に捕らわれた白鳥の苦悶と、
天上の白鳥座の怜悧なきらめきと……

(地上に育った「かぐや姫」が
月の世界の住人だった、という
不思議な日本の古典と、どこか似ている感触)


( 2022.11.29 Twitter より )



(追記)>二羽の白鳥

宮澤賢治「春と修羅」の一篇「白い鳥」では
二羽の鳥が描かれている。
その影響かも……

異界の鳥 – レモン水 (ginmuru-meru.com)


(2022.12.2 Twitter より )


白鳥座と異界


北欧神話と星座のつながりは
あまり思い浮かばないのだけれど、
白鳥(ノルンやワルキューレ)に関わる神話と
白鳥座との結びつきはないのだろうか?

たしかケルトの(巨石か洞窟)遺跡では、
白鳥が刻まれていた……(TVで視たがうろ覚え)

オェングス – Wikipedia

白鳥は、異界(海や河・湖・空)と
この世を往来する翼を持つ存在。

銀河に浮かぶ白鳥座が、
異界に渡る翼で
死者の魂をも導くイメージと
重ねられたのではないだろうか。

夢の通ひ路 – あかり窓 (memoru-merumo.com)


はくちょう座 – Wikipedia
>中国の星図では、ほぼ白鳥の翼にあたる部分を
大きな船の形に結んで天津と名付け、
天の川の中の渡し場と見ているが、
七夕や鵲の橋の伝説と直接の関係は無い[13]。

天の川の中州に浮かぶ「渡し船」は、
異界へと導く普遍的なイメージなのだろう。
中国に限らず、似た物語が数多く伝わる。
たとえばギリシア神話の「忘れ河の渡し船」や
北欧神話の「戦死者を運ぶ船」、
エジプトのピラミッドの「王の魂を運ぶ船」など。
日本では「アメノトリフネ」や
新年の七福神を乗せた「宝船」がその系譜だろうか。

あるいは「中州」の物語に注目するなら、
アーサー王の円卓の騎士たちが探求した聖杯、
荒地の国土を蘇らせる神秘の鍵が
「中州の城の漁夫王のもとにある」という
「聖杯伝説」を思い浮かべる。
なぜ「中州の城」なのか不思議に思っているが、
異界と結びつく「天の川の中州」を下敷きに
夢想してみると、ふいにイメージが広がる。

ハクチョウは、欧州では夏の鳥。
そして日本では、冬の鳥。
(越冬のために日本にくる)
(ケルトの遺跡に刻まれた白鳥は、
「春の使者を表す」のだと
たしかTVで解説していたっけ)

彼岸と往来する船、
春を告げる再生の翼。
それらのイメージをかたどり、
暗い銀河に浮かぶ、光の鳥影。

セイレーン – あかり窓 (memoru-merumo.com)



( 2022.11.11~16 Twitter より )


こちらの岸で – ぶるーまーぶる (fairy-scope.com)



夢の通ひ路

住の江の 岸による波 よるさへや
夢の通ひ路(ぢ) 人目(ひとめ)よくらむ

藤原敏行朝臣
(小倉百人一首 18番 『古今集』恋・559)

和歌の世界観では、
「夢に人が現れるのは、相手が自分を想っているから」
だったらしく、現代でも使われる言葉
「夢枕に立つ」
は、それと同じ感性・発想によるのだろう。
魂・精霊への古代人の自然な信仰にも通じる、幻想的な夢への思い・捉え方かもしれない。

夜波(寄る波)と夢は、親和性が高いイメージ。
「夢の通ひ路」は詩的で、現代にも通じる表現(演歌的?)

I went out to the hazel wood,
Because a fire was in my head,
And cut and peeled a hazel wand,
And hooked a berry to a thread;
And when white moths were on the wing,
And moth-like stars were flickering out,
I dropped the berry in a stream
And caught a little silver trout.

When I had laid it on the floor
I went to blow the fire aflame,
But something rustled on the floor,
And some one called me by my name:
It had become a glimmering girl
With apple blossom in her hair
Who called me by my name and ran
And faded through the brightening air.

Though I am old with wandering
Through hollow lands and hilly lands,
I will find out where she has gone,
And kiss her lips and take her hands;
And walk among long dappled grass,
And pluck till time and times are done
The silver apples of the moon,
The golden apples of the sun.

― The Song of Wandering Aengus―
(William Butler Yeats,1899)


アイルランドの詩人イェイツの
「彷徨うアーンガスの歌」
にも夢の女性(姿をくらます)が登場するが、
その依り代は小川で釣った銀の魚。

水辺(岸に寄る波)で起きる
夢(の女性)との交流イメージは、
古今東西(平安前期和歌、近代の英詩)にわたり
詩人達に愛されたのだろうか。


( 2022.10.20~22 Twitter より )


カワヒラコ、夢虫、蚕サン – あかり窓 (memoru-merumo.com)

紫之(むらさきの) – あかり窓 (memoru-merumo.com)

住の江の岸に(Bing Image Creator) – レモン水 (ginmuru-meru.com)

風の音にぞ(Bing Image Creator) – ぶるーまーぶる (fairy-scope.com)