蛾眉と月と幻の女性


蛾眉(ガビ)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)

>蛾の触角のように細く弧を描いた美しいまゆ。転じて、美人。
「嫁たるものは―を顰ひそめて」〈紅葉・二人女房〉

(以上 コトバンクより 引用)


嫦娥(ジョウガ) – Wikipedia

>甲骨文には、「娥」という神が記されており、これが嫦娥のことであると考えられる。

『淮南子』覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月(月宮殿)に逃げ、蟾蜍(ヒキガエル)になったと伝えられる(嫦娥奔月)。

別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えている。
(中略)

『楚辞』天問では虹を切り開き衣服と為したとされる。

道教では、嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」さらに「月宮黄華素曜元精聖后太陰元君」「月宮太陰皇君孝道明王」と呼び、中秋節に祀っている。
(中略)

(民間伝承)
海南島などでは、8月15日(中秋節)の晩に少女たちが水をはった器の中に針を入れて嫦娥(月娘)に自分の運命の吉凶を示してもらう、という習俗があった。針がすっかり沈んでしまって少しも浮かばないと運命は凶であるという。

(以上 Wikipediaより 引用)


日本で古来ヒヒル、ヒムシと呼ばれた「蛾」は、
古代中国に伝わる嫦娥(ジョウガ、月の女神)や
蛾眉(ガビ、眉、美人)という言葉があるように、
美しく神秘的な女性と結びついたイメージを含み持つ語
だったのではなかろうか?

「峨眉山月歌」
作者:李白 (唐)

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。
夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

李白:峨眉山月歌 – Web漢文大系 (kanbun.info)


李白の詩に描かれる峨眉山は、
中国仏教や道教の聖地という。
蜀を出発して三峡の河を下る長旅で、
月影を慕うけれど見ることが出来ない、
という意味の有名な詩らしい。
蜀は蚕(蛾)の原産地域であり、
峨眉山の語からイメージされるのは、
道教の優美な月の女神……嫦娥。
詩人が慕うのは月影か、
想い人の面影か。

山渓、河、船旅、見えない月、
幻の美しい女性……

簡潔な語の連なりに幽玄な詩情が宿る。
(まるで英詩人デ・ラ・メアが描く
妖精世界のようだ、と思った)


( 2024.2.27 イラスト作成 Bing Image Creator )


因果交流電燈

旗竿賈

「旗竿や旗竿」と國旗の旗竿賈が通る、
明日は紀元節で十四日は國葬※の日だといふことに氣附く、
旗竿よお前は、喜びの日にも悲みの日にも同じ姿で出て来る、
お前は生と死とを同じ言葉で語る永劫の表象だ、
僕も旗竿賈のやうに自分の詩を賈って歩かうかと思ってみる。
僕の詩は光とも見え影とも見える時間から生れる、
虚と實を自由に織りだす空間の廻燈籠だ、
讀者銘銘の心に答へる焙り出しだ、
讀者を得て初めて箇性を確立させる白い紙の一片だ。
(※伏見元帥宮國葬)


野口米次郎「旗竿賈」
(『早稲田文学』1923年4月 掲載 )

「二重国籍」詩人 野口米次郎
( 堀まどか著、名古屋大学出版会、2012.2.29 初版第1刷発行 )より



わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます


     大正十三年一月廿日
宮沢賢治

宮沢賢治 『春と修羅』 (aozora.gr.jp)

春と修羅 – Wikipedia


野口米次郎は英詩を書く国際派として
戦前には高い評価を得ていたが、
第二次世界大戦、日中・太平洋戦争下、
戦争詩により日本の国家プロパガンダに
協力、終戦まもなくの1947年に病没。

現代ではあまり知られていない詩人
という印象を受けるが、彼の作品は
宮澤賢治にも影響を与えたのだろうか?
(ふとそんな問いを抱いた)


新美南吉とエブリディ・マジック – ぶるーまーぶる (fairy-scope.com)


( 2024.2.11 イラスト作成 Bing Image Creator )


藝術 – New Art -(野口米次郎)

藝術 - New art -

そもそも藝術は、
蜘蛛の巣のように、香の空中にかかる、
柔かで生き生きと、音樂にゆれる。
(人生に浸潤する藝術は悲しい。)
その音樂は瞬間の緊張に死ぬる、生きる。
暗示がこの生命だ。
藝術に美と夢の「探求」はない、(なぜといふに、)
藝術は夢、美そのものに外ならない。
(私共は理想や問題や雑談やに疲れ切った。)
現實の黄昏に光る蛾一匹だ……
残忍な瞬間の餌食となって死なねばならない。
藝術は創像の驚異(さう私はいふ、)
衝動の金線に踊る、
光と影の小鬼(エルフ)……
藝術の美と悲劇はきらめき渡る。


( 野口米次郎「藝術」
『表象抒情詩集』第一書房 1925年、42-43頁 )


「二重国籍」詩人 野口米次郎
( 堀まどか著、名古屋大学出版会、2012.2.29 初版第1刷発行 )より

( 2024.1.14 & 2.4 +2.9 イラスト作成 Bing Image Creator +加工修正 )


東洋的想像よ(野口米次郎)

東洋的想像よ

降る雪を花と見立てる東洋の想像に對し私は感謝する。
冬の霜や風に春の音信を聞く東洋の想像に對し私は感謝する。
四季から冬を奪って、室内に春を想像する東洋的態度は、必ずしも冬を恐れるからで無い。
一日も早く春の法悦に浴したい希望からであると信じます。
ああ、東洋的想像よ、
あなたは決して卑怯者で無い、
あなたは無を有とする勇者です。
あなたのお陰で私達は此小さい島を大きな世界として数千年間生きて来ました。
この貧しい生活を喜ばしい幻像で包んで生きて来ました。
ああ、東洋的想像よ、
あなたは私達の眼界から實在を奪ったのでない、
あなたは私達に第四次(フォス・ダイメンション)の世界を與へました。
少くも私はあなたを失ったならば、
その時こそは、日本という故國に告別して、
紐育か倫敦の郊外に移住するでありませう。
ああ、東洋的想像よ、
なんだか私はあなたに離れさうに思はれます。
どうか私をしっかりと捉へて居てくださいー
私の二つの手はここにあります。
その手をぢっと握ってください。
(後略)


(野口米次郎「東洋的想像よ」
『沈黙の血汐』新潮社 1922年5月24日発行、廉価版17版 1925年12月25日発行、16-20頁 )

「二重国籍」詩人 野口米次郎
( 堀まどか著、名古屋大学出版会、2012.2.29 初版第1刷発行 )より

( 2024.2.2 & 2.9 イラスト作成 Bing Image Creator +微修正 )


私は太陽を崇拝する(野口米次郎)

私は太陽を崇拝する

私は太陽を崇拝する……
その光線(ひかり)のためでなく、太陽が地上に描く樹陰(こかげ)のために。
ああ、喜ばしい影よ、まるで仙女の散歩場のやうだ、
其處で私は、夏の日の夢を築くであらう。

私は女を禮拜する……
戀愛のためでなく、戀愛の追憶のために。
戀愛は枯れるであらうが、追憶は永遠(とこしへ)に青い、
私は追憶の泉から、春の歓喜を汲むであらう。

私は鳥の歌を謹聴する……
その聲のためでなく、聲につづく沈黙のために。
ああ、聲から生れる新鮮な沈黙よ、「死」の諧音よ、
私はいつも喜んでそれを聞くであらう。


( 野口米次郎「私は太陽を崇拝する」
『表象抒情詩集』第一巻、第一書房 1925年、100-101頁 )


「二重国籍」詩人 野口米次郎
( 堀まどか著、名古屋大学出版会、2012.2.29 初版第1刷発行 )より

( 2024.2.2~4 & 2.8 イラスト作成 Bing Image Creator +微修正 )