ささがねの蜘蛛(田中孝顕 著)


「ささがねの蜘蛛」
(田中孝顕著 幻冬舎 2008.12.25 第一刷発行)

『ささがねの蜘蛛 味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法』田中孝顕 | 幻冬舎 (gentosha.co.jp)


第一章、第二章を通読。
古代日本語(古事記・日本書紀・万葉集)と
古代タミル語を比較し、国文学の新たな解読を試みる書。
情報量の多さに圧倒され頁を追うたび眠くなったが
(退屈ではなくフリーズ状態)
ようやく読み慣れてきた。

カラスキの三ッ星(オリオン座)にまつわる
宗像三女神・墨江三神・天忍穂耳への言及、
ヤマトタケルと火焚きの翁との「カガナベテ」問答歌、
三つ栗の歌、
出雲や三重の地名考察、
ヤマトトトヒモモソヒメ・三輪山・卑弥呼の蛇信仰・日神信仰の考察等、
どれもが鮮烈すぎる!
(日頃から自分も気になってた)

著者の国語学的な考察をすっ飛ばし、
日頃から気になっていた和歌や
中東神話やらにまでイメージが弾け、
ページを追う以前に思考がフリーズ……
という状態を幾度かくぐり、
ようやく本書に慣れてきた。ゆえに
あまり正確には本文を読み取れていない、
と断言できるが (;^_^A
とても魅力的な研究書。

国語学は苦手だった上に、
寝こけつつ読む悪い読者=自分。

大家の大野晋による研究ですら
日本語とタミル語とを比較する試みは、
国語学者から激しく批判されたという。
それでも毅然として研究を深めていく
本書の試みは清々しい。

(でもまだ半分は未読なので、
頑張って読む……火花のような本)

( 2023.11.16 Twitter より )


第三章、第四章、第五章、通読。

なぜ読了と出来ないのか。
「おお!」と目から鱗の解釈を
次々読んでも端から忘れてしまうから。
(アリギヌ=睡蓮・山百合、ウバタマ=新月など)
ごく自然な解釈で、現代人の自分にも
違和感がない……が、
枕詞などの古代語(非日常な言葉)は、
記憶に残りにくい。

そのため前の頁に繰り返し戻る。
(そしてまた忘れる……)
そのうえ、気になる言葉が出てくる。

(三枝草=睡蓮・百合=さゐぐさ)
(さゐ=さゑ=みへ)
転じて衣擦れの音、美しい衣……
(みへ、の語はタミル語の宝の意味)
ゆえに「ありぎぬの三重」「ありぎぬの宝」
という古語表現が存在 等 etc.

「タミル語 umm-ai は yomi と対応するが、umm-ai はそのまま um-a(うま)とも対応させうる。おそらく、原始日本語では、黄泉を um-a と言っていたものと推定される。そちら・其処(that place)を琉球語で uma と言うのはそういう意味で注目される。」(p.206 L.5-7)

「ヨミ=ウマ」と推定?

さりげなく大胆な説が
散りばめられてもいるので、
思考は本書を離れて
幾度も夢想にさまよい……
黄泉と馬とのイメージ的な繋がりは、
日本の「馬方山姥」のみならず、
世界神話にも多数。
なぜ日本語では「あの動物」を
「うま」と呼ぶのだろう?など
思考フリーズで夢心地。

古層の女神の面影 memo – あかり窓 (memoru-merumo.com)

采女(ウネメ)のウネは、
タミル語で神への捧げものの意味で、
時代が下り大王への捧げものに
転じたのでは、など興味深い指摘が随所に。
第5章、古事記や万葉集の歌の読み解きが、
古代人の機知と人間臭さを浮き彫りに。
奥ゆかしい神代の言葉を探求する
研究書かと思っていたら……鮮やかな手腕。

( 2023.12.3 Twitter より )


第六章、第七章、補章、あとがき&はじめに、読了。

「私はノンフィクションライターであって、専門家ではない」
という言葉で始まる「あとがき」に驚く。
ときに軽妙な文体でクスリと笑わせ、
痛烈な学者批判も綴られるが、
重厚な「専門書」であり、
図書館でも「国語学系の学術書の棚」に並んでいた。

「はじめに」を最後に読んだのは、
最初に「内容が詰まり過ぎて、読み切れない」という
「ヒューズが落ちた」状態になった為、
全文を通読してから、巻頭に戻って読み直した。
日本語とタミル語との相関は明らかにある、
その伝播の経路が考古学や遺伝子学、AI等で
検証される日がいつか来るのではないか。

比較言語学はおろか国語学さえあやういド素人が、
Xで呟いてもせんないかもしれないが、
魅力的な研究が埋もれてしまうのは残念なことだ……

(著者の田中孝顕氏が
「比較考古学、比較民俗学の研究成果も取り入れた宝石箱のような入門書」
と讃える大野晋著「日本語の源流を求めて」のファンとして思う)

>八岐大蛇の人身御供にされようとしている乙女と両親に「足なづち」「手なづち」「くしなだ姫」という名が付けられている。これはおそらく祭りの際に演じられていた奉納劇のように見受けられる(古くは河の神である水蛇に対する祭りであったであろう)最初に謎かけをして、どんな怪物が登場するのか観衆にヒントを与えているわけである。(p.11 L.8~13)

登場人物名の意味をタミル語で解釈し、
神話に独自の光をあてている、面白い説をメモしておく。
(手がない、足がない、髪がない、という謎かけ)
「はじめに」からこんな密度なので、
ヒューズが飛んでしまった。
タミル語による古文解釈の背後に、
著者の古代日本文化への想いが感じられる。

「よみがえる大野 日本語=タミル語接触言語説 タミル語による記紀、万葉集の未詳語などの考察」
田中 孝顕 著(幻冬舎 2023/9/4 発行)

著者はどんな方だろうと検索したら、
出たばかりの新刊本がある。
今年の自分への宿題がようやく読めて
ほっとしたところで、
また新たな課題図書……

読まねば。(;^_^A

( 2023.12.6 Twitter より )

三つ栗の歌 – こちら、ドワーフ・プラネット (downadown.com)