岸におふてふ


道しらば
摘みにもゆかむ
住の江の
岸におふてふ
恋忘れ草

 ( 紀貫之 古今和歌集 巻第十四 恋歌四 1111 )


この和歌の
「岸に生えるという」を意味する
「岸におふてふ」という表現には、
「岸に発生する蝶」「岸に追う蝶」
という二重のニュアンスが含まれているのでは?
と、ふと思った。

「てふ」は中国からの渡来語で、
古来の和名は「かわひらこ」だという。
また蝶は、夢虫、夢見鳥とも呼ばれた。

カワヒラコ、夢虫、蚕サン – あかり窓 (memoru-merumo.com)

てふ(蝶)は川辺に舞う、かわひらこ。

紀貫之が詠んだ「住の江の岸」には、
彼岸との境界(天の川)のイメージが
重ねられてはいないだろうか?

住吉三神 – Wikipedia

「住の江=墨江(黒の海)=天の川」と説き、
墨江三神(上筒の男、中筒の男、底筒の男)を
天の川辺のオリオン座の三つ星だと解釈する
面白い本をちょうど今、読んでいる。

ささがねの蜘蛛―意味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法 (古事記・日本書紀・万葉集と古代タミル語の饗宴) | 田中 孝顕 |本 | 通販 | Amazon
( p.91~p.94 )

彼岸にわたる羽を持つ蝶(夢虫・夢見鳥)と
忘れがたい人への想いを託す浜萱草(忘れ草)とを
「岸におふてふ 恋忘れ草」
という短い言葉のイメージで重ねて、
はるかな舞台へと舞わせた、嘆きの歌……

道しらば

「住の江(墨江)=天の川」への道は、
夢幻の彼方にしか見いだせない……
そんなはかない抒情は、時を超え
多くの人の胸に今なお響く。
平易な親しみやすさとともに、
言葉の象徴的な意味を
幾重にも含み持つ三十一文字の
表現の奥深さゆえの魅力だろう。


( 2023.11.11 イラスト作成 Bing Image Creator )


昨日見し恋忘れ貝(Bing Image Creator) – レモン水 (ginmuru-meru.com)


夏の弔ひ(立原道造「萱草に寄す」より)


逝いた私の時たちが
私の心を金(きん)にした 傷つかぬやう傷は早く愎るやうにと
昨日と明日との間には
ふかい紺青の溝がひかれて過ぎてゐる

投げて捨てたのは
涙のしみの目立つ小さい紙のきれはしだつた
泡立つ白い波のなかに 或る夕べ
何もがすべて消えてしまつた! 筋書どほりに

それから 私は旅人になり いくつも過ぎた
月の光にてらされた岬々の村々を
暑い 涸いた野を

おぼえてゐたら! 私はもう一度かへりたい
どこか? あの場所へ(あの記憶がある
私が待ち それを しづかに諦めた――)


 (青空文庫 立原道造「萱草に寄す」より「夏の弔ひ」 初出:風信子叢書刊行会(自費出版)1937.5.12 )
立原道造 萱草に寄す (aozora.gr.jp)

( 2023.11.6 イラスト作成 Bing Image Creator )


ゆふすげびと 立原道造 – レモン水 (ginmuru-meru.com)


セイレーン


昔々とおい昔のこと
 海辺の村の女たちは
  網を編み漁を助けて
   子守歌で微笑みあい
    とても賢かったので
   彼女らの知恵と技は
  子から孫へ伝えられ

やがて海の大女神は
 知恵深き乙女として
  古き神秘の眼差しの
   不老不死の姫として
    たたえられ語られて
   船乗りたちの旅路で
  東へ西へと広められ

荒っぽい舟唄に乗り
 戦いの記憶や異国の
  物語と交わりながら
   馬や牛や果実や宝玉
    星の暦や海図の文字
   あまたの富と重なり
  妖しくいろどられて

もう誰も村女たちの
 潮風に日焼けした腕
  かざらない笑顔とは
   結びつけない神殿へ
    きらびやかな城へと
   連れ去られ囲われて
  謎めいた名で記され

長い長い時の果てに
 忘れ去られた大女神
  だけれど岸に流れる
   村女たちの子守歌と
    網を編み帆布を織る
   見事な技は失われず
  静かな日々が営まれ

遠い漁に出て帰らぬ
 男たちを待ちながら
  星を眺め灯をともし
   子守歌で微笑みあい
    今宵も変わらず昔々
   とおい昔の賢い姫と
  同じ知恵を伝えつつ

不思議な物語の糸を
 女たちは織り続ける
  と……そうこの本に
   記してあるのですよ
    ええ私は海辺の村の
   巫女の末に生まれて
  今宵また夢語り……


( 2023.10.25 イラスト作成 Bing Image Creator )


Le vent se lève !(Bing Image Creator)

Le vent se lève !… Il faut tenter de vivre !
L’air immense ouvre et referme mon livre,
La vague en poudre ose jaillir des rocs !
Envolez-vous, pages tout éblouies !
Rompez, vagues ! Rompez d’eaux réjouies
Ce toit tranquille où picoraient des focs !

( "LE CIMETIÈRE MARIN" Paul Valéry,1920 )


宵の星あかりが照らす
禁断の樹の実のありか、
海の乙女の語り伝えは
運命の書に今も息づく。

尾をかむ海蛇の眼光に
射られたとき人は悟る、
やがて朽ち果てる身と
時を旅する知恵の石と。

パンか石かを選び続け、
いずれ波に散り一抹の
光にかえる……ならば
いまを只、生きるのみ。

定めの書物に記されぬ
明けの星のきらめきは、
大洋の波をわたる蝶の
羽ばたき、その刹那に

風を越えて……宙へと!


( ポール・ヴァレリー「海辺の墓地」のイメージより )

( 2023.10.25 イラスト作成 Bing Image Creator )

残響(Bing Image Creator) – こちら、ドワーフ・プラネット (downadown.com)


子守歌


今日の夢
明日の風車
ひとすじの風が
めぐりめぐる
星はきのうのきのう
ずっと前から
丸い夜だった。
 
唄を抱いて
旅していた
夕べの月よ
忘れないでおくれ
虹色のかすかな記憶
星はめぐる 夢の彼方
知っているのは
明日が来るということだけ。


( 2010.8.6 ブログ「こちら、ドワーフ・プラネット」より )
( 2023.10.19 イラスト作成 Bing Image Creator )

こちら、ドワーフ・プラネット (the-wings-at-dark-dawn.com)